勢多だより
(2023年3月号)

定年教授の挨拶

 

室寺 義仁 教授/医療文化学講座(哲学)

室寺 義仁

「究めよ 深く 仁慈の科学」に込められた精神

定年退職のときを迎え、お世話になりました教職員の方々を始めとする皆さまに心より感謝申し上げます。
私は、馬場学長、服部副学長の時期、平成24年 9月1日付けで、医療文化学講座(哲学)の教授として着任致しました。前哲学教授の早島先生が構築された「医の倫理」の講義を継承するとともに、医療の原点には「人を愛する」精神があるとの思いから、基礎学課程における哲学の授業展開の中で日本人の精神性についての思索を深めながら、医療に係わる専門職に求められる愛の形について考えて来ました。ギリシャ・インド・中国の古典に伝わる主潮な思想を概説し、本邦においては「子を愛(うつく)しむ心」が愛の形の原型にあることなどを紹介して来ました。多様性と寛容さが求められる現代社会においてもまた、古典に伝わる自己と他己を巡る思想は私たちの日常に通底しているように思います。学歌に謳われる「究めよ 深く 仁慈の科学」との歌詞には、医科学を支える大本に、仁愛という愛の形、並びに、慈(いつく)しみ悲(いとお)しむという人としての深い悲しみを抱えた愛の形があるという精神が力強く込められていると私には思えます。この精神のもと、滋賀医科大学の益々の発展をお祈り申し上げます。

 

 

久津見 弘 教授/臨床研究開発センター

久津見 弘

定年退職に際して

私は、福井医大(現:福井大学医学部)を1987年に卒業し、京都府立医科大学公衆衛生学教室(消化器内視鏡グループ)(当時)に入局し、市中病院勤務を経て、2005年から神戸大学消化器内科に異動し、胆膵領域の教育・研究・診療と医工連携に取り組んでいました。その間に、PMDAに出向する機会に恵まれ、企業の開発部隊や規制当局の関係者との人脈ができ大きな財産となりました。
その後、2015年4月に臨床研究開発センターのセンター長・教授として滋賀医科大学に迎えて頂きました。当時は、ディオバン事件を契機に、臨床研究を取り巻く規制が大きく変化している時期でした。着任当時の私のミッションは、臨床研究の信頼性を担保するガバナンスの強化と体制整備でした。

着任後、臨床研究に関する審査部門の独立、支援・実施体制の整備、治験の推進、産学連携の推進、そのための人材確保に取り組みました。優秀なスタッフに恵まれ、整備は迅速に進めることができました。この間、先生方には、多くの負担をおかけすることもあり、ご批判も頂きましたが、これからは滋賀医大の治験のデータは質が良い、滋賀医大発の臨床研究は信頼性があり、臨床現場へのインパクトも大きいとの評価に繋がるものと思っています。そして、滋賀医大のますますの発展を祈念しています。
8年間お世話になりありがとうございました。

 

 

佐々木 雅也 教授/基礎看護学講座(生化・栄養)

佐々木雅也

定年退職にあたって

私は1982年に、滋賀医科大学医学部医学科2期生として卒業後、旧第2内科(現在の消化器内科)に入局、大学院を経て、彦根市立病院、草津中央病院(現在の淡海医療センター)にて、消化器内科医としての研鑽を積みました。その後、1992年3月に旧第2内科助手となり、31年間、本学に務めました。
2000年には、文部科学省の在外研究員として英国のロンドン大学で消化管の粘膜上皮細胞に対する増殖因子の研究に従事しました。約1年間、臨床から離れたこともあり、臨床栄養への強い想いから、帰国後に栄養サポートチーム(NST)の立ち上げに尽力しました。当時、大学病院での全科型NST活動は全国的に珍しく、多くの方が見学にこられたのを思い出します。その後、NSTは全国展開され、1,500を超える病院で活動されています。2005年には栄養治療部の講師(副部長)となり、国立大学では栄養治療に関わる教員は私が初めてでした。その後、部長に就任し、18年間、管理栄養士の皆さんとともに、様々な栄養管理体制を構築し、エネルギー代謝研究や経腸栄養に関する研究にも従事することができました。さらに、2017年には、看護学科基礎看護学講座(生化・栄養)教授職を拝命しました。新しい挑戦でしたが、看護学科の教員の先生方と学生教育に関わる機会をいただきましたこと感謝しております。
ふり返ると、とても幸せな教員生活であったと思います。
定年退職にあたり、ご指導いただきました先生方、お世話になりました教職員の皆さまに厚く御礼申し上げますとともに、50周年を迎える母校の益々の発展をお祈りいたします。

 

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